数学連載 第16回 数学と近代絵画とのあいだ、其の2

数学について、賢人のことば。
第16回は、数学と近代絵画とのあいだ、其の2です。

面白かったので、少々長めに引用してます。★☆は捕捉とコメントです。


われわれが造形として表現するのは、われわれの普遍的な知覚を表現することであり、われわれの普遍的な存在を個別のものとして表現することである。
ここに、新しい造形的な表現が必要となるのであり、それは両者(個別的なものと普遍的なもの、主観的なものと客観的なもの、自然と精神)を均衡状態で現わすこと、要するに、均衡の関係を造形として表現することなのである。
変化するもの(自然)は色彩の平面とリズムによって表されるのに対して、不変的なもの(精神)は直線と無彩色(白、黒、灰色)の平面によって表現されるのである。
(ピート・モンドリアン)

★初期の作品に見られた神智学的、象徴的な意味がなくなり、
中和された〈均衡関係〉とか〈多様の統一〉の関係といった≪数学的、関数的な意味≫のみが強くなっていく。
関数的とは、≪機能的≫ということであり、≪記号的≫ということでもある。
★絵画における〈新しい造形〉の諸要素が機能的、関数的、記号的になったことによって、それは絵画平面を離れて、建築空間のなかへも束縛なく、自由に入ることができるようになった。
☆均衡の関係を造形として表現する!そして、絵画と建築と都市、ニューヨーク、ブロードウェイへ。

 

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★★しょうが壺のある静物Ⅱ(1912年)、モンドリアン★★

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★★花咲くりんごの木(1912年)、モンドリアン★★

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★★コンポジション(1921年以降に制作されたもの)、モンドリアン★★


本質的なのは感覚である。
感覚とは決定的なものであり、それゆえ芸術は無対象表現に、シュプレマティズムに到るのだ。
私は「物」と「表象」が感覚の模造とみなされることに気づき、意志と表象の世界の虚構を見抜いたのだ。
白い地の上の黒い正方形は無対象の感覚の最初の表現形式であった。正方形とは感覚、そして白い地とはその感覚の外側にある「無」である。

自然とは私達の神経組織の活動が展開する環境のことである。
人間は自然のなかに意識の外側にある無軌道な行動を見出し、意識の形でそれを軌道に乗せることを目指す。
神経組織の束は諸々の事態が作用することで直線と曲線による表現を多彩に演出し、まるでそれと察知されないうちに、種々にそれらを組み合わせて、多種多様な様態を生み出す。絵画の点あるいは線の多様性も、これらの点や線について合理的に定義された意味の埒外で惹起されるなんらかの興奮に由来する。つまり、それらは無対象の状態にあるのである。

絵画作品の客観的な把握はもともと自然の描写に依存している。
かりに作品が自然に似ているとするなら、それは理解可能で客観的であることを意味する。
(マレーヴィチ)
☆意志と表象の世界?どっかで聞いたことがあるような。

 

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★★白地の上の黒い正方形(1915年)★★

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★★飛行機の飛翔(1915年)★★

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★★白の上の白い正方形(1918年)★★



幾何学の点はわれわれのイメージでは沈黙と発言との、最大の、この上なく個別的な結合である。

点は時間的にもっとも簡潔な形態である。

線は運動から生まれ、点の自己完結した、最高の静止を否定することから生まれる。ここに静止的なものから運動的なものへの飛躍がある。

長さとは時間の概念である。

地-平面とは作品の内容を受け入れるのに適した物質的平面のことである。

地-平面を図式化すると、二本の水平線と二本の垂直線を境界とし、周囲から独立した存在となる。
水平線と垂直線の特徴が分かれば、地-平面の基礎的な響きも自然に明らかになるに違いない。
冷たい静止の二つの要素と、暖かい静止の二つの要素は二つの静止の二重の響きであり、それが地-平面の静止的=客観的な響きを決めている。

コンポジションとは、要素の中に緊張という形で含まれる生きた力を厳密に法則的に組織づけることにほかならない。
(ヴァシリー・カンディンスキー)
★一方で色彩の物理化学、生理学、心理学、そして他方において線的なもの、形態そのもの、そして平面という形態からコンポジションの科学があり、その中間に形態と色彩との関係学があった。
☆点、線、面について明確に定義できるんですね。

 

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★★コンポジションⅧ(1923年)、カンディンスキー★★

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★★黒い三角形(1925年)、カンディンスキー★★


すべてを理性的に捉えようとするのは、間違いではなかろうか。
もともと相反するように見える矛盾も、本当はそれぞれ相通ずるところがあるのだ。

世界をひとつの全体として眺めるとき、それは動力学的な性質を備えている。
静力学の問題は、世界全体を部分的に取り上げたとき、はじめて起こってくる。

作品における本質的なものとは何か。生成である。そして、それはフォルムの動きとなってあらわれる。

線描の基本をなすフォルム要素は、点であり、線、面、空間のエネルギーである。
時間こそ造形活動の場となり、運動こそ造形の性格を決定する。

線のフォルムと面のフォルムとの組合せでは、線の方はまったくアクティブな性格をもち、面のフォルムはパッシヴな性格をもつ。

個体は、色の性質に従って、それらの四角形を青、赤、紫などの複合体にリズム化することによって、初めてその最高に動力学的な完全表現力を獲得した。
(パウル・クレー)
☆絵画には全体を眺める視点があるんですね。

 

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★★セネキオ(1922年)、クレー★★

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★★肥沃な国に立つ記念碑(1929年)、クレー★★

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★★ドゥルカマラ島(1938年)、クレー★★

形体の単純化、スーラに代表される形体の基本的、幾何学的輪郭への還元はそのころの大きな革新だった。
この新しい技法は私に大きな印象を与えた。
絵は結局科学的な方式へ還元されたのである。

わたしの色調のあらゆる関係が見出されたとき、そこから生きた色彩の和音、音楽の作曲の場合と同じような調和が生まれてくるに相違ない。
(アンリ・マティス)
幾何学、科学、絵画、そして色から音色へ、フランス人っておしゃれですね。

 

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★★桃色の裸婦(1935年)、マティス★★

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★★青い衣装の婦人(1937年)、マティス★★

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★★切り絵、マティス★★


ユークリッド幾何学相対性理論においても、空間や時間の形式について科学的批判が行われたが、そのことは、観察者の位置に無関係な空間や時間というありふれた概念から脱却することを、われわれに教えている。
またそれは、知覚される空間や時間に対し、それに固有な存在論意味を復元すべきことを、われわれに要請している。
何となれば、知覚される空間や時間は多形的であって、常識や科学は、その幾つかの特徴だけを捉えるに過ぎないからである。
(メルロ-ポンティ)

ご参考

バウハウス叢書 新しい造形(新造形主義)」ピート・モンドリアン著、宮島久雄中央公論美術出版
バウハウス叢書 無対象の世界」カジミール・マレーヴィチ著、五十殿利治訳、中央公論美術出版
バウハウス叢書 点と線から面へ」ヴァシリー・カンディンスキー著、宮島久雄訳、中央公論美術出版
「クレーの日記」南原実訳、新潮社
「造形思考」パウル・クレー著、土方定一、菊盛英夫、坂崎乙郎ちくま学芸文庫
マティス 画家のノート」二見史郎訳、みすず書房
「自然の哲学」ハックスリ、コリングウッド、メルロ-ポンティ著、菊川忠夫編訳、御茶の水書房