スタッフ本間数学ブログ 第22回 数学と建築其の4、初期キリスト教建築

数学について、賢人のことば。
第22回は、数学と建築其の4、初期キリスト教建築です。

ギリシアから旧約聖書新約聖書とローマ、
そしてアウグスティヌスを巡る道中です。
★☆は捕捉とコメントです。



「六日間の創造」
神は、万物を「一挙に」創造したのであって、
「六日間」とは、神の創造の秩序であって、それを示すために、モーセが「数」を用いたのである。
とりわけ「六」は、数の中でも、一から数えて最初の完全数であるため、
創造の完璧さを表すために「六日間」と言ったという。
(ピロン『世界の創造』より)
★ピロンの同書には、随所にピタゴラス学派的な数論の援用が見られ、
後半は、七日目の神の休息との関連で、数「七」の神聖性が延々と述べられている。


「よろずのものを尺土と数と重さにて定めまもうた」
(『ソロモンの知恵』11章20節)

ピロンは、プラトンの『ティマイオス』を下敷きとして、「創世記」の異読を試みた。

聖書のギリシア語訳では、創造の最初の日は「一つの日」という基数が用いられている。
神はその日に、二日目以降に創造されてくる可感的世界の範型としての「イデア界」を創造した。
そしてモーセがその日を「一つの日」と呼んだのは、「一性(モナス)」の本性を洞察したからにほかならないと。

プラトン
イデア(手本)」とその「似像」としての宇宙から、二段階創造論へ
可知的世界(手本、原型、非物体的)から、可視的世界(写し、模写、物体的)へ


原型としてのイデア、つまり「可知的世界」は
神自身の内に、「神のロゴス」の内にある。
イデアの所在については、本来問うべきではない。
存在の領域に属する神に関わることには、人知が及ばないからであると。

神を万有を支配する一なる知性と言い、人間の知性はそれを原型として造られた、とする。

☆神は一、そこから複製されたのが人間?
ゼロはまだ存在しない、問わない?
ゼロ=理性?という大胆な見方をしてもよいのでしょうか???
ある(実在)となる(過程)?
過程の目盛りが数学、過程の順番が数学?


「私は神から賜った恩寵にしたがって、思慮深い建物師として土台を置き、他の人がその上に建てた」
(『コリント人への前の手紙』3章10節)

★聖パウロキリスト教会の基礎の確立を教会堂の建設になぞらえた。
★神による秩序界の創造こそが聖堂の原形であり、神の創造行為の何らかの繰り返しが「建築する」という行為、聖なる空間の構築にほかならない。

☆過程をながめる?告白する?アウグスティヌス

プラトンは、数を用いて宇宙を精巧に仕立てあげた神のことを推賞している。」

「神は数にしたがって世界をつくり出される」
(『イザヤ書』40章26節)

「神にはいっさいの数が知られているということはわたしたちのけっして疑わないところであって、
詩編』にも現にうたわれているように、神は「その知恵のはかられない」かたなのである。
からして、数の限りのなさは、その限りのなさをかぞえる数をもっていないにもかかわらず、
なおも「その知恵のはかられない」神にとっては把握されないものではないのである。」


ピュタゴラスプラトンの数的秩序論に基づいた古代の造形思想が、
初期キリスト教のラテン教父聖アウグスティヌスの数の比例を原理とする
宇宙論的音楽論・造形論に結実した。
★音楽とはすぐれた音調の学(スキエンティア)であり、
数的な比より生じる協和音にのっとった科学であり、
この比例論は音楽にとどまらず、宇宙という秩序世界の構成原理に敷衍された。
アウグスティヌスにとっては音楽と建築はともに数の子供であるからそれらは姉妹であり、
音楽が永遠をこだまするように建築はそれを映すものであると。


視覚化された比例こそが幾何学的秩序原理である。
音楽も建築も天上の世界を構成する秩序原理を数学や幾何学によって反映すると考えられたのであろう。
光と同じく幾何学もまた、人々の心を肉体的な地上の世界から霊的な天上の世界に導く力をもつとみなされた。
このような力の働きが中世になってアナゴジカル(神秘的)な方法と呼ばれることになる。


ギリシアからローマ、そしてキリスト教へ★


ギリシアやローマの集住地が複雑な外観を呈していたのに対し、キリスト教のまちは教会堂によって特徴づけられており、
時としてわずかに城塞のみがいま一つの中心を形成することがあったにすぎない。

初期キリスト教時代、そもそもの発端から、若干のきわめて象徴的な空間的諸関係が
教会建築の出発点としてとりあげられた。<中心>と<通路>という概念である。

顕著な内部空間性が初期のすべての教会堂に共通であった。
初期の教会堂は、内的世界として、すなわち永遠のキウィタス・デイ[神の国]を表わす場所として構想された。
☆入ってみればわかる?という事でしょうか。戦国時代なら侘び茶の茶室のような、
さて露地はどうなってるのでしょう。

キリスト教の実存的空間は、人間の具体的環境からひき出されるのではなく、
中心と通路として具体化されるところの、約束とあがないの経過とを象徴する。
中心と通路を教会堂として建てることによって、実存の新しい意味が可視化されたのである。

★★ローマ、サンタ・サビーナ★★
(写真があれば適当にお願いします。)

★細かいところを少々★
初期キリスト教のバシリカでは空間を規定する壁が第一次的要素であり、
その空間はある種の垂直的開放性を生みだす二次的な木造屋根でおおわれている。
ビザンチン教会堂は、建物が宇宙のイメージとして意図されていた
ドームは天を表わし、下部は地上的ゾーンを形づくっている。
画像は建築的枠組みの中で上方におかれるほどますます聖であると考えられた。
神的な光が天のドームから流出し、下方の有心的空間に広がった。

★★ローマ。サンタ・コスタンツァ★★
★★コンスタンティノポリス(イスタンブール)。ハギア・ソフィア★★
(写真があれば適当にお願いします。)


ご参考

上智大学中世思想研究所 編訳・監修『中世思想原典集成 精選4 ラテン中世の興隆2』
若桑みどり著『イメージの歴史』ちくま学芸文庫
ロジャー・ヒンクス著、沓掛良彦安村典子訳『古代芸術のコスモジー 神話と寓意表現』平凡社
内山勝利責任編集『哲学の歴史 第2巻 帝国と賢者』中央公論新社
中川純男責任編集『哲学の歴史 第3巻 神との対話中央公論新社
アウグスティヌス著、服部英次郎訳『神の国岩波文庫
クリスチャン・ノルベルグ=シュルツ著、前川道郎訳『西洋の建築 空間と意味の歴史』本の友社