ブログ連載 数学第12回 数学とのあいだにあるもやもや、其の1

(スタッフ本間)

数学について、賢人のことば。
第12回は、数学とのあいだにあるもやもや、其の1です。

★☆は、捕捉と私の思いつきコメントです。

☆数学が見ている対象、或いは見る行為には、何か秘密があるようです。
数学はどこまで風呂敷を広げられるのでしょうか?包むものは、モノなのかココロなのか?それとも、、、


少なくとも私は物質的な事物が、純粋数学の対象であるというかぎりにおいては、存在しうる、ということだけは知っている、何となればそれらを明晰かつ判明に私は知得するからである。
というのは、この私がこのように知得し能うもののすべてを神は創り出し能う、ということは疑うべくもない。
(デカルト)

★数学の対象は、物質的な事物である。
たとえば、色、音、味、苦痛、およびこれに類するものは、感覚によって知得する。
感覚から記憶の介助によって想像力に到達する。
☆神→物→数学→知、感覚→記憶→想像力
数学を通過するものと、そうでないものに分かれるようですね。


数学の目的ないし本質は「大きさ」である。
が、大きい小さいといったことが、まさしく非本質的で没概念的な事柄なのだ。

現実の存在は、数学で考察されるような空間的存在ではなく、数学の扱うような非現実的存在にかんしては、具体的な感覚的直観も哲学もなりたたない。

数学的な知は等号から等号へと一直線に進んでいく。

数学的認識に特有の欠点は、認識そのものの欠点であると同時に、素材の欠点でもある。
(ヘーゲル)

クロネッカーは、整数以外は人間わざであると言ってました。


数学者たちが抽象という彼らの不落の要塞、いわゆる純粋数学に撤退するやり方や、
すべてのこの(現実との)類似性はわすれさられ、
無限はまったく捕捉しがたいもの、いっさいの経験やあらゆる悟性と矛盾するものとしか見えなくなる。
数学的無限は、たとえ無意識的にではあっても、これを現実から借用してきたものであり、
またそれゆえに現実からのみ説明しうるのであって、けっしてそれ自身から、数学的抽象から説明しうるものではない。
(エンゲルス)

☆現実→→抽象、関係→数学?
★物理学の数学化
物質的物体の実存的関係を純粋に数学的な関係や抽象とすりかえ、
そしてこれらの関係や抽象は、事物の実在的関係の反映としてではなく、人間理性の「純粋な」産物として描きだされた。
数学の観念論的解釈を物理学に拡張しようとするこころみ。


自然科学が大きな成功をおさめたこと、数学的に処理することのできる運動法則をもつ同質的で単純な物質要素に近づいたのとが、
数学者に物質を忘れさせているのである。
『物質は消滅し』、あとに残るのは方程式だけである。
(レーニン)

★物理学の形式化
物理学における数学的方法の役割が増大した結果、物理学の諸概念が数学化した。
★数学の基礎概念についての広範な見解が仕上げられるのにともなって、数学の抽象性が増大した。
数学では、事物や現象の具体的な、質的な数値が捨象されるようになっただけでなく、事物間の量的関係そのものの具体的な内容さえも捨象されるようになった。


実践のうちですぐさま、数学を用いて、必要に応じて有効なことをなしとげるという習慣的に用いられる方法にゆきつくことになった
この方法は、当然、根源的証明に関する能力なしにも継承された。

一般に数学は、意味をぬきとられたまま、たえず論理的に増築されながら伝承された。
(フッサール)

ガリレオ以来の近代科学によって自然が数学化され、理念化されたため、直観的な生活世界が見失われてしまった。
★直観を欠いたたんなる記号的な言葉の理解、直観を欠いた意識、に対する危機意識がある。
★ヴィトケンシュタインは、言語を強調していました。
これは「言語と世界の間の関係」ということにも繋がるのでは。

☆「意味をぬきとられた」の意味が何を表すのかわかりませんが、たとえば


こうしているうちにやがて数学者はありとあらゆるものが理解可能なもの、把握可能なもの、機械的なものであると思いはじめる。
さらにはわれわれが神と呼んでいる最も測定不可能なものですら把握できるなどと思い込み、ついには神という存在のもつ特殊性や卓越性を切り捨ててしまうことになるらしい。
(ゲーテ)

☆人は神にどこまで近づけるのか?
数学の発展を人の進化の一つの表れとしてとらえてみると、、、


近代科学への途上で、人間は意味というものを断念した。
(ホルクハイマー、アドルノ)

☆そして、二つの世界大戦において使用された大量殺戮を可能にした近代兵器につながった。


ある理論の対象がいかなるものであるかについて述べることは意味をなさない。
ただ、その理論をもう一つの理論の中でいかに解釈ないし再解釈すべきかについて述べることのみが意味をなすのである。
(クワイン)

☆理論ともう一つの理論のあいだということは、同じ次元での証明は無意味ということでしょうか?
ゲーデルとも繋がりそうですが、、、


論理的命題といわゆる数学的命題は同語反復または同語反復的な形成物である。
つまり、それらは何事も言い表さないのである(それらは、命題変形の規則にすぎない)。
それらの命題が絶対的な(あらゆる経験から独立の)真理性を有するのは、もっぱらこの事情によるのである。
この絶対的な真理は、実は、真理が意味を有しないという、真理の極端な事例にすぎない。
(シュリック)

☆絶対的な真理とは、神や自然や精神でしょうか。


論理学と純粋数学の法則は普遍的である。
しかしこれらの法則は、わたくしたちの世界については何ものべてはいないのである。
これらの法則は、ある概念とある概念とのあいだにある関係をのべているだけなのである。
それは、この世界がそのような構造であるからではなく、ただこれらの概念が一定の方法で定義されているからにすぎない。
(カルナップ)

☆ある概念とある概念とのあいだにある関係とは、たとえば、方程式の右辺と左辺の関係ということでしょうか。


哲学は探究の恒久的枠組の発見という課題を中心に据えねばならないという考えからわれわれ自身を解放すべきだ。
特に、われわれは、科学が説明できずに残したものは哲学によって説明されるという考えから自らを解放すべきなのである。

われわれは、思考のみならず文に関しても、実在との対応という概念を捨て、
文を世界とではなく、他の文と結びつくものと見なければならない
(ローティ)

☆実在にこだわり過ぎていた?ということでしょうか。
それよりも、どことどこが結びつくのか、或いは切れているのか、切れてしまったのかを見てもよさそうですね。


ご参考
デカルト著作集 第2巻 省察および反論と答弁」白水社
精神現象学ヘーゲル著、長谷川宏訳、作品社
「世界の名著 65 現代の科学 Ⅰ」湯川秀樹井上健編集責任、中央公論社
「世界の名著 66 現代の科学 Ⅱ」湯川秀樹井上健編集責任、中央公論社
「世界哲学史5、9、10」ソビエト科学アカデミー哲学研究所編、出隆、川内唯彦、寺沢恒信監訳、商工出版社
「ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学」E・フッサール著、細谷恒夫、木田元訳、中公文庫
「哲学の歴史 第10巻 危機の時代の哲学」野家啓一責任編集、中央公論新社
「自然と象徴」ゲーテ著、高橋義人編訳、前田富士男訳、冨山房科文庫
啓蒙の弁証法」M・ホルクハイマー、T・アドルノ著、徳永恂訳岩波文庫
「科学としての倫理学モーリッツ・シュリック著、城戸寛訳、亜紀書房
「ことばと対象」W.V.O.クワイン著、大出晁、宮館恵訳、勁草書房
「哲学と自然の鏡」リチャード・ローティ著、野家啓一監訳、産業図書